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2023.01.11 四條由貴

今日は何の日?1月11日は「塩の日」|静岡塩業株式会社

今日は何の日?1月11日は「塩の日」|静岡塩業株式会社
1日11日は、「塩の日」です。私たちの体に欠かす事のできない身近な存在なのに、意外と知らない事が多い、塩の世界。今回は、静岡塩業株式会社の協力を得て、塩について調べてみました。

海水がしょっぱい理由

海水には、塩の主成分である塩化ナトリウムが溶けています。この塩化ナトリウムは、なぜ海水に含まれているのでしょうか?46億年前、地球は、水素、二酸化炭素、窒素、塩酸ガス、塩酸、硫黄などのガスを含む微惑星が、次々と衝突して誕生しました。この頃の地球表面は、ドロドロとしたマグマに覆われていました。それから、数百万年が過ぎると、地球が冷え、大気中の水蒸気が大量の雨となり降り続けます。この雨は、塩素ガスが含まれる酸性の水でした。その水が地球表面にたまったものが、海の始まりです。酸性の水は、地表で冷えて固まっていたナトリウムを含む岩石を溶かし結びつき、塩化ナトリウムができました。長い時間をかけて、しょっぱい海水ができあがったのです。
 

なぜ、「塩の日」に?

1月11日は「塩の日」。しかし、語呂合わせを考えてみても、「シオ」とは読めそうにありません。どうして、この日が「塩の日」になったのでしょう?それは、歴史をさかのぼること、450年以上。三河から駿河を治めていた今川氏との同盟を破り、東海地方への侵略を企てた武田信玄。その報復として、製塩事業を行っていた今川氏は北条氏と共に、武田の領地に塩が渡らないよう企てたのです。海に面していない甲斐では塩を手にいれることができずに困っていたところ、長年敵対関係にあった上杉謙信が、越後の塩を送ったのです。「敵に塩を送る」という故事の由来ともなった、この史実が起きたのが、1569年1月11日だとして「塩の日」に制定されたそうです。

静岡の塩の歴史

静岡は海に面し、全国の中でも晴天率が高いことから、昔から塩作りに適した土地と言われてきました。古くは「大日本古文書」に、駿河国から塩が祖(税)として大和朝廷に差し出されていたという記述があります。戦国時代には、今川氏が製塩と鉱山で財を成し、勢力を拡大しました。徳川家康の統治になると天領(幕府の直轄地)にしたことも、重要産物である塩が関係していると言われています。江戸時代には、製塩が行われていた久能浜から、駿府城まで続く道「久能街道」があり、しおりどん(塩売りどん)と呼ばれる女性たちが塩を担ぎ、駿府城下や府中の街中に運んでいたそうです。
 

海水から「塩」を作る方法

昭和20年代までは「入浜式塩田法」が盛んに行われていました。干満の差を利用して塩田に引き入れた海水が、太陽光と風の力により蒸発。毛細管現象により海水が塩田の砂に付着します。塩の付着した砂を海水に注ぐと濃い塩水が採取できます。これを煮詰めることで、塩ができあがります。昭和20年代後半になると、「流下式塩田法」が開始されます。すだれや竹枝など傾斜に配置した構造物に海水を散布し、太陽光と風で乾かしながら濃縮させます。濃縮した海水を煮詰め、塩を作ります。「入浜式塩田法」、「流下式塩田法」どちらも、雨や湿度の影響を受けるため、生産量を安定させることができませんでした。昭和46年以降、現在の製塩方法として主流になっているのが「イオン交換膜製法」です。塩分は海水中で、ナトリウムなどのプラスイオンと、塩化物などのマイナスイオンに分かれて溶けています。電気を通すことで、イオン化している成分を効率良く集め、濃い塩水を作ります。水分を蒸発させ、塩を生産しています。どの製法の塩も、海水を利用した「天然の塩」です。

今回、協力してくれた「静岡塩業株式会社」は、昭和22年の創業以来、静岡県中部エリアを中心に、食品加工メーカー、スーパーなどに塩、食品加工素材、食品添加物の販売を行っています。また、食品用以外に、医療用、工業用などあらゆる分野に素材を提供しています。食だけでなく、私たちの暮らしを多角的に支えてくれています。

<取材協力>
静岡塩業株式会社
静岡県静岡市相生町12-18
http://www.shizuen.co.jp/


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